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諏訪大社…御神木と御山をご神体とする全国の諏訪神社の総本社です。

諏訪大社最大の祭事、御柱際。 樹齢200年程のモミの巨木を人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てる。

諏訪の地主神を治め、同地に鎮座 古来より戦の神と崇められる「建御名方神」たけみなかたのかみ

「古事記」にのみ登場する謎多き武神

改めて、大国主神に国譲りを迫るため天降ったのは古事記では建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、日本書記では武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)である。
この交渉の際、大国主神自身はほとんど抵抗する素振りを見せない。だが、建御名方神という神だけは違った。
武勇の神として武甕槌神という神だけは違った。武勇の神として武甕槌神と戦うのである。大国主神の子とされる建御名方神は、記紀のうち「古事記」にしか見えず、「日本書記」には登場しない。同じ子の事代主神は記紀に語られるのにくらべ、謎の多い神だ。
しかも事代主神が大国主神と神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)との間に生まれたと記載されているのに対して、建御名方神の母に関する記述はない。
国譲りの場面において唐突に、大国主神の子として現れるのですから。

ともあれ「古事記」における建御名方神の活動を見てみましょう。

建御雷之男神からの国譲りの要求に対して大国主神に返答を任された事代主神は、これを承諾する。次に大国主神が建御名方神の意見も聞くべきだと言っているうちに、大きな岩を手先で持ち上げている建御名方神が現れ「いったい誰がわが国に来てひそひそ話をしているのか。では力くらべをしょうじゃないか」と、建御雷之男神と争うことになる。
ところが建御雷之男神の力が圧倒的に勝っていたため「科野国(しなののくに)の州羽海(すわのうみ)」すなわち長野県の諏訪湖まで追い詰められた建御名方神は、この地の外には出ないことを条件に命を助けてもらった上で国譲りを承諾したのです。

こうしてみますと確かに建御名方神は力自慢の武神だが、建御雷之男神にはかなわなかった神だと「古事記」にはえがかれているわけだ。「古事記」は江戸時代まであまり知られていない書だったとはいえ、平安初期に成った「先代旧事本紀」にも同じ話は記されている。
しかし、諏訪における伝承では趣(おもむき)が異なる「古事記」に右の話が脈絡もなく語られていることからも、何らかの理由で諏訪に鎮座する建御名方神の話が組み込まれたのだろう。
諏訪と言えば建御名方神を祀る諏訪大社が知られている。諏訪大社の縁起によると、外からやって来た建御名方神が地元の洩矢神(もりやしん)を破り、諏訪を治めたのだという。そして建御名方神の子孫という諏訪氏が大祝(おおほおり)洩矢神の子孫という守矢氏が神長官という立場で明治まで祭祀が営まれてきた。
この諏訪大社は古い文献に「南方刀美神社」「建御名方富神社」などともあることから、祭神はミナカタトミの神、タケミナカタトミの神とも呼ばれていたらしいです。
そして建御名方神という神名からは「ミナカタ」の神、すなわち諏訪湖の水潟の神であることをおもわせ、農業神の神格かと思われる。
だが天津神に服従したとはいえ、武神としての神格は広く知られた話しであり、後白河方皇の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の神」とあるそうです。
武甕槌神や経津主神と並んで、まけた側の建御名方神も軍神、戦いの神と崇められているというこだそうです。
戦国時代の建御名方神信仰の例をひとつ挙げておきましょう。甲斐の虎と呼ばれた名将、武田信玄の話しです。甲斐国(山梨県)の信玄は諏訪に侵攻し、武将で諏訪大社大祝だった諏訪頼重を自刃に追いやって支配下に置いた。しかし諏訪大社の祭祀を復興させ、「南無諏訪法性上下大明神」の旗印を用いるなど、武神建御名方神への信仰は深かったらしいです。

だから、御諏訪太鼓の中の口上に出てくるんですよね…南無諏訪…って

諏訪大社祭神の勇猛さは、あたかも激しく勇ましい御柱際(式年造営御柱大祭)に象徴されているようです。
寅と申の年に行われるこの祭では、計16本の樅(もみ)の大木が切り出されるのですが、大木に氏子を乗せたまま坂を引き落とす場面はみなさまもよく知られていることでしょう。

こうして境内に運ばれた大木は、境内の四角に立てられる。四角なのに16本というのは、諏訪湖南の上社本宮と上社前宮、北の下社春宮と下社秋宮の四社の総称が諏訪大社だからだ。
上社には建御名方神と妃神の八坂刀売神、下社にはこの二柱と事代主神が祀られています。

と色々諏訪大社の関係を調べると奥が深く、面白いですね。
自分の知らない世界に、歴史…そして御諏訪太鼓と諏訪大社。
なんだか、恐れ多い感じです。御諏訪太鼓に巡り合わせて頂いた事はきっと深い意味があるんでしょうね。心して行きます。

長い文章ですけど、いやはやすごい深い大切なものでした。
また、もう少し別にも調べてみます。

南無諏訪南宮法性上下大明…
齋雷神



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