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戦国時代のライバルと聞いて…皆様は誰を思い浮かべます?
我輩は、やはり武田信玄と上杉謙信ですねぇ…両者の人間性や戦国大名として対比して強調される事が多いですね。
一方は親を、一方は兄を追放し、また後継者が続かぬほどのカリスマ性を持っていたなどの共通点があった、お互いをどう思っていたのかな?なぜ五回も川中島合戦を起こしたのか?

謙信は、信玄ほど悪逆非道な男はいないと指彈し、寺社仏閣を破壊して民衆を苦しめ、武田家に恨みを持たない信濃の武士を追い出していると批判した。また父信虎を追放した親不孝者だと詰ったことはよく知られいる。

いっぽうの信玄は、謙信の事を名指しして批判した事実は認められない。だが興味深いことに、信玄存命中、武田家は謙信のことを「長尾景虎」「長尾輝虎」などと記し、「上杉」や「政虎」とは一度も呼んでいないそうだ。
だから信玄は、謙信が関東管領山内上杉家を継承したことを一切認めてないのです。激情家の謙信と、冷静沈着な信玄の好対照ぶりを示す事実ですが…

これは表向きな評価にすぎなかったらしい。

実は関東で上杉軍が北条軍を相手に軍事行動を行っていた際に、上杉家臣が失策をしでかし、兵粮や小荷駄を失う痛手をこうむった。これを聞いた謙信は、作戦内容を知ると、その家臣を「馬鹿者」と叱責しつつ・そんな作戦ではたとえ信玄が指揮してもうまくいくわがなかろう・とのべた。つまり、信玄ほどの名将でもその家臣が思いついた作戦では成功しないというのである。謙信は内心、信玄を名将と認めていたらしい。

いっぽうの信玄も同じだった。信玄に長く仕え、その後仲違いをした僧侶教雅は、知友への手紙の中で信玄は常々謙信を日本無双の名大将だと褒め称えていたと証言している。
教雅は、かの信玄がそれほど絶賛する名将謙信に一度お目にかかりたかったが、老境の自分にはもう機会がないだろう。とても残念だと手紙を結んでいる。

やはり両者は表面上はライバル心むき出しだが、内心はお互いの実力を認め合っていたのでしょうね…

あるきっかけがなければ、二人は何の接点もなくいがみ合うことも無かったのでしょうね…

しかし、今の社会もちょっとした事で色々な事が起こり、大変な事態をまねきますからね…

いつになれば平和な世の中に…

まあ、武田信玄は我輩が習っています御諏訪太鼓に関わりがあります関係で少し書いてみました。
また、川中島合戦の事も書いてみたいです…いつになるかわお楽しみに…

今はまず、東京の皆様が選挙で誰を選ぶかにかかっていますね。
しっかり考えて投票して欲しいですねぇ。

あなたの一票は大切ですよ。
オリンピックの成功をせつに願っています。



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