信濃国衆との断ち切れぬ縁が謙信を川中島合戦へ向かわせる
川中島の戦いは、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、天文22年(1553)から永禄7年(1564)までの足かけ12年間に、北信濃の川中島地方を舞台に計5回の対陣と衝突を繰り返した総称です。
とりわけ謙信にとってこの合戦は、自ら進んで戦端を開いたわけではなく、信玄に挑まれたがゆえに止むにやまれず開戦したというほうが実態に近い。
まず5回の川中島合戦を貫く問題は、信越国境紛争という意味合いである。これは武田氏の勢力拡大により、越後春日山城を本拠とする謙信は、その安全保障上、信玄の北上を食い止めねばならぬ立場に置かれた。
川中島地方を始めとする北信濃が信玄の手に落ちれば、謙信自身の存亡に関わる。
だからこそ謙信は信玄との対決をすべてに優先する事象とせねばならなかったといえる。
武田信玄に追い込まれつつあった北信濃国衆は、父祖以来切っても切れぬ間柄にあった。
また続きは次に…
さて、今日は、2月23日に演奏します、ポートピアホテルに打ち合わせ行って来ました。
なかなかの広い会場です。楽しみです。
オープニングに演奏します。頑張らないとね。
沢山の先輩や後輩に同級生…恩師や先生方がこられます事を心から願っています。
そして師匠も参戦して頂きます。やるぜ…
先生も楽しみにして下さってます。
打ち鳴らしますよ。皆様お楽しみにして下さいませ。
また、沢山書きたいのですが…つづきはまたね(笑)
川中島の戦いは、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、天文22年(1553)から永禄7年(1564)までの足かけ12年間に、北信濃の川中島地方を舞台に計5回の対陣と衝突を繰り返した総称です。
とりわけ謙信にとってこの合戦は、自ら進んで戦端を開いたわけではなく、信玄に挑まれたがゆえに止むにやまれず開戦したというほうが実態に近い。
まず5回の川中島合戦を貫く問題は、信越国境紛争という意味合いである。これは武田氏の勢力拡大により、越後春日山城を本拠とする謙信は、その安全保障上、信玄の北上を食い止めねばならぬ立場に置かれた。
川中島地方を始めとする北信濃が信玄の手に落ちれば、謙信自身の存亡に関わる。
だからこそ謙信は信玄との対決をすべてに優先する事象とせねばならなかったといえる。
武田信玄に追い込まれつつあった北信濃国衆は、父祖以来切っても切れぬ間柄にあった。
また続きは次に…
さて、今日は、2月23日に演奏します、ポートピアホテルに打ち合わせ行って来ました。
なかなかの広い会場です。楽しみです。
オープニングに演奏します。頑張らないとね。
沢山の先輩や後輩に同級生…恩師や先生方がこられます事を心から願っています。
そして師匠も参戦して頂きます。やるぜ…
先生も楽しみにして下さってます。
打ち鳴らしますよ。皆様お楽しみにして下さいませ。
また、沢山書きたいのですが…つづきはまたね(笑)
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